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小学6年まで滋賀県大津市に居住。中学入学時に大阪府箕面市に転居。 今も実家は箕面にある。高校大学時代は硬式テニス部に所属。 開業準備の段階で、諸々の事情により、寝屋川市に転居。 1987年 2月 鍼灸師となる。 明治鍼灸大学では、3年から4年に進級するときに、 国家試験を受けます。合格しなければ、自動的に留年。 1988年 3月 明治鍼灸大学(現 明治国際医療大学)卒業 1年生の時は、口頭試問やレポートに追われまくる。 多分これまでで一番勉強した一年だったと思う。 2〜3年生の時は、解剖学教室に出入りする。 このときに、基礎医学の大切さをしっかり叩き込まれる、 と同時に、フラスコでの燗の仕方と、飲んだ量を正確に 把握するためにビーカーで飲むということを覚える。 4年生の時は、付属メディカルMRセンターに出入りする。 当時MRは、日本に4〜5台しかなかった。 MRIではなく、MRSの基礎実験をする。 3年生の終わりごろから心身医学に興味を持ちはじめ、 4年生になると、週末は大阪まで帰り、カウンセラーグループ主催の カウンセリング講座を受講する。この頃より、カウンセラーであり 鍼灸師でもある高橋孝二郎先生に師事する。 1988年 4月 都クリニック開院準備室に就職 当時建設中で、開院まで木戸整骨院、めぐみクリニックで研修。 開院準備として、鍼灸とクリニックの各部門との連携システムや、 導入器機の選定、配置などを考える。 1989年10月 都クリニック 開院 外来はもちろん、入院、手術、検査、看護、ターミナルに至るまで、 院内のあらゆる場面、部門に出入りし、関係する。 東西医学の連携、部門間連携、見立てや鑑別診断の重要性を、 改めて認識する。 この頃、高橋孝二郎先生をスーパーバイザーとして、 有志で自主勉強会「鍼灸臨床心理学研究会」を開く。 1995年 都クリニックを休職 家庭の事情で、医療とは全く関係のない仕事をする。 1996年9月までその仕事をし、10月より開業準備に入る。 1996年11月 都クリニック 非常勤復職 1997年 2月 南心堂鍼灸治療室 開院 1999年 6月 介護支援専門員となる。 2003年 1月 産業カウンセラーとなる。((社)日本産業カウンセラー協会) 2007年 7月 都クリニック非常勤退職 現在継続中の仕事 南心堂鍼灸治療室 院長 南心堂メンタルヘルスプロモーションオフィス 代表 南心堂ケアマネージャー事務所 管理者・ケアマネージャー 株式会社南心堂 取締役 株式会社クリウム 取締役 (社)大阪府鍼灸師会 理事 所属している会 (社)日本鍼灸師会 (社)大阪府鍼灸師会 2009年4月より(社)大阪府鍼灸師会 理事 (社)全日本鍼灸学会 日本認知療法学会 (社)日本産業カウンセラー協会 日本不安障害学会 このページのTOPへ 「南心堂をもっと詳しく」のページへ |